明日はいよいよ手術

富山との往復が忙しく、中々毎日更新が難しいので、またまとめての報告です。

いつもは兄と弟分けているのですが、段々と弟の方は健康すぎて書くことがなくなってきたので(失礼)一つにまとめて、書くことがある際にはまとめて書いていこうと思います。

12月23日

大雪の後、なんとか雪かきをして高速をだったらきちんと除雪されているだろうという事で、高速を使って富山の病院まで行きました。

特に運転は問題なかったので良かったです。

心不全が近くなってくると哺乳量が減ってくるから、赤ちゃんの消化に負担が少ない母乳の重要度がより一層増してくるということで、雪の中なんとか冷凍母乳を届けた後、一時間ほど面会をして、暗くなって路面が凍結する前に安全に帰宅しました。

まだ40mlx8回は飲めているという事で、たまに30mlくらいで残すので、その場合は鼻に入っている管から胃の方へ10ml程度は入れているという事でした。

体重もやはり飲めているとはいえ、2030gあたりで停滞しているという事でした。

最終的な手術をするには最低でも3000gは必要で、体重はあればある程良いと言われているので、とにかく増えてくれることを願うばかりです。

面会では家族も皆応援してるけど、このブログや私のX(旧Twitter)を見て下さっている、本当に沢山の優しい人が応援してくれてるからねと、毎回伝えて頭を撫でるようにしています。

この日もそんな親の心配は露しらず、1時間の間に一度だけ片目を開いた以外はずっと寝られました。

安心するような、悲しいような…。

12月24日

この日は兄の面会には行きませんでした。

クリスマス・イヴということもあり、妻との日にしました。

出産前はこんなことになるとは思ってもいなかったので、例年は予約を忘れるにもかかわらず、今年だけは皮肉にも予約を忘れなかったKFCを食べて、こんな状況だからこそ、一旦落ち着いて「いつもならこうやってクリスマスを過ごすよね」というイヴにしました。

昨年は予約を忘れて、激混みの店舗に並んだんですよね。

そういえば去年もイヴの日のケンタッキーの駐車場は雪だらけだったのを覚えています。

同じような時期に降るものなんですね。

12月25日

この日は麻酔科の先生の話を聞きに富山に呼び出されました。

25日に麻酔科の説明、26日に外科の説明、27日に手術という3日連続の富山への呼び出しだったので「25と26日の打ち合わせをなんとかまとめられないか?」という話をしたのですが、難しいという事でなんとか都合をつけて行くことにしました。(また仕事が遅れる)

ただ、実際に富山に行ってみると、麻酔科の説明は「全身麻酔使います。この紙にサインしてください。」と言われ、サインをすると、冊子を渡されて、「また時間がある時に読んでおいてください。」と2分くらいで終わりました。

「今日、本当に物理的に来る必要あったのかな…。」と思いました…。

妻は親戚の方に車を出してもらって、弟と一緒に「母乳外来」に行っていました。

弟の方は3000gを超えていて、丈夫に育っています。

兄の方は先日2030で停滞していた体重が、二日で70増えて、2100を超えていました。

頑張ってくれています。

12月26日

外科の先生のお話を聞きに本日も富山へ。

今日は小学校の先生で日ごろから多忙である義母も、半休(手術の明日は有給)を取って泊まり込みで弟の面倒を見に来てくれました。

なので、富山に行ってから始めて妻と長男を会わせることが出来ました。(ここまでは毎回私一人で行っていた)

外科の先生の話を聞くと、事の深刻さが分かってきたようで、説明の途中で妻が泣き出してしまいました。

私が以前から基本的に医師との話をさせて頂いており、妻が不安になりそうな要素は出来る限り伝えないようにしていたのですが、手術の前日となるとそうもいかないので、医師の口から全てお話頂きました。

心房中隔欠損症、完全大血管転移、両大血管右室起始という中国語のように漢字が並ぶ病名を並べられ、心房中隔欠損症はかなり多い先天性疾患である旨と、完全大血管転移と両大血管右室起始に関しては指定難病である事を伝えられました。

私は誕生した初日から「医療介入がなければ生きられて2ヶ月です。」とハッキリ言われていて、私もそれとなく伝えて吐いたのですが、医師の口からハッキリと妻がそれを聞くのは初めてで、そういった事実がかなりリアルに妻に突き刺さった日となりました。

手術の同意書を書くときも、様々な合併症やリスクについて述べられ、「こんな事言われたらサインしたくなくなっちゃいますよね。」と医師からも言われつつサインしました。

その際に、同意書の7番に「手術をしなかった際の今後の経過:近いうちに死亡します。」とハッキリ書かれていたのを見て、やらないという選択肢はないんだなという風に感じました。

医師はかなり有名で凄腕の方が執刀して下さるようで、失礼を承知ながらインターネットでお名前を調べさせていただいたところ、「そりゃこの先生はこっちが3日連続で来てでも都合を合わせないと合わないよね…」というような先生で、昨日の自分の身勝手さを恥じる結果となりました。

明日の手術は、まだ大血管転移を完全に治療するには体重が足りないので、体重を稼ぐための延命の手術となります。

肺動脈絞扼術(はいどうみゃくこうやくじゅつ)という手術らしく、肺に流れすぎている血液を、動脈を絞って肺に流れていく血液の流量を調整して、呼吸を楽にしてあげる手術だという事でした。

以下先生のコメントです。

「簡単に絞ると言っても、肺動脈が体に流れていく動脈の後ろにある血管だから、それをよけながら縛らないといけない難しい手術になる。」

「長男は2100gだから、動脈と言ってもおそらく5mm程度の血管を、コンマ数ミリ単位で絞る手術になる。」

「広すぎると今の苦しいままだし、狭すぎても苦しくなる。その上、今後体重を稼ぐための手術であるから、成長によって起こりうる流量の変化を加味して明日は何mmに絞るかを決定しなくてはならない。」

「今後、ちょっと広すぎた、狭すぎたがあれば微調整の手術を追加で行うこともあるので、それを全部含めて『1回目の手術』だと思って欲しい。」

このような事を言われて、いかに難しい手術であるかが分かったようで、この辺りで妻は泣き出してしまいました。

明日の手術後から3日~1週間はNICUではなくICUに入り、人工呼吸器や心臓から水を抜く管、点滴など、様々な管に繋がれて、「なんとか生かされる」というような生活になるという話もあり、長男に繋がるであろう管も一本一本その用途の説明を受けました。

明日の朝6時に石川を出て、富山で8時半に長男を見送り、14時まで不安と格闘しながら帰りを待つ予定です。

結果はまた報告します。

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