手術と術後の経過

12月27日

この日、長男は肺動脈絞扼術という手術を行いました。

朝8時半にNICUを出発し、手術室へ。元々は2時頃までかかると言われていたのですが、12時半頃には終了しました。

特に問題なく終わったという事だったので、少し面会をしてから帰宅しました。面会をした長男は人工呼吸器に繋がれ、まだ麻酔がきいているそうで、全く動きませんでした。

これからしばらくはこの状態だそうで、本人の体力で回復するのを待つしかないそうです。

15種類ほどの液体を体に入れる管が繋がれており、それに加えて尿道カテーテル、輸血パック、心電図等その他の経過観察に必要なコード類など、本当にサイボーグに改造されるのではないかと思うくらいの、おびただしい数のコードが繋がれていました。

生後20日たたずして、大きな切り傷が残っています。

しかし、この手術もメインの手術が出来るだけの体重を稼ぐためだけの延命手術であり、何も根本的には解決していないというのがより可哀想だと感じました。

メインの動脈を入れ替える手術をするためには体重が最低でも3000gが必要で、一度メインの心臓を止めて、人工心臓で生かしながら作業をするため、体にはかなりのダメージが入るそうです。

だからこそ、体重と体力はあればある程良いという事で、とにかくこれからは体重を稼ぐことになります。

一度、ある程度容態が落ち着いたという事で、石川の自宅に帰ったところ、6時前にまた富山の病院から電話があり、容態が急変し、酸素飽和度(サチュレーション)が大幅に低下したという事で、再度緊急手術の呼び出しがありました。

どうやら、これまで酸素が体に何とか行きわたっていたのは、卵円孔と心房中隔欠損で良くも悪くも穴が開いていたからで、それが今回の肺動脈絞扼術によって血圧が下がり、穴を押し広げて貫通していくだけの力がなくなった事により、急激に酸素飽和度が低下したということでした。

なので、緊急手術の内容はカテーテルでその押し広げられない穴を貫通させて、循環を良くするという手術でした。

この手術は、いずれ絶対に必要になると初回の手術の前に説明を受けており、医師も準備していたものだったので、緊急とはいえ、元々から後日必要になると予想していたものが、手術当日に来たという感じだったので、大事には至りませんでした。

ただ、帰宅したら23時になっていました。

さすがにどっと疲れました。

弟は義母とお留守番でした。

12月28日

この日は特に面会には行かず、富山の病院からも電話が無かったので、長男は安定していたのだと思います。

ただ、次男に湿疹が出たと妻に言われて、この日は次男を小児科に連れて行きました。

赤ちゃんにはよくあることで、問題ないので、もう少し自宅で様子を見て下さいと言われたので、そのまま帰ってきましたが、悪化しないかだけは経過観察が必要となりそうです。

12月29日

面会に行きました。

手術後は酸素飽和度が77%程度で、コードも沢山繋がっていたのですが、まず尿が自分で出せるようになったので、尿道カテーテルが取れていました。

また、それに伴い、利尿剤の点滴もなくなっていたような気がしました。(おそらく)

酸素飽和度も88-89%に落ち着いており、脈も以前のように不整脈になって、フラフラとBPMの数値が変わるようなこともなくなりました。

また、血圧も術後は上が30程度しかなかったらしく、だから輸血で血圧を上げていたようなのですが、上が70程度と2000gの子供なら正常値と言える程までに上がってきていたようで、輸血パックもなくなっていました。

酸素も術後は100%人工呼吸器だったのですが、朝、昼、晩と毎回10%ずつ下がって、28日朝90%、28日昼80%、28日夜70%、29日朝60%という経過を辿っているそうで、私がうかがった時には58%に設定されていました。

ICUは15分程度しか面会が出来ないのが残念ですが、それでも元気になってきた姿を見られてよかったです。

ただ、相変わらずまだ麻酔状態ではあるそうで、年内に目覚めるかはかなり怪しそうでした。(回復がはやい子で年内ギリギリと言われました。)

そういえば、次男の方が昨日あたりから、何の理由もなく泣くようになり、睡眠を取ることがより難しくなってきました。

声を出す練習をしているのか、時々奇声を発したり、オムツでもミルクでもないのに虫の居所が悪いのか泣くようになりました。

だから、私が夜通し起きて子守り、朝に妻が起きたら交代して、私が朝方から昼過ぎまで寝るというようなスケジュールで交代制で子守りしています。

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