12月30日
12月30日は特に面会にもいかず、特に変化はありませんでした。
12月31日
大晦日、最後に会っておこうと思い面会へ行きました。
明日から人工呼吸器が管のものからマスク式の物に変更になるそうでした。
今は管の物で、肺まで入っているのですが、それがマスクで口のところまでになって、自力で呼吸するスタイルに切り替わるそうです。
ただ、一度切り替えてみてダメそうだったらまた戻すと言われたので、実験的に外してみるというような形のようでした。
2024年1月1日
能登半島の大地震が発生し、妻の実家が全員被災しました。(七尾市)
富山からは停電も大丈夫で、長男の心配はいらないと電話で聞いたので、ひとまずは家族の救済と自分達の生活を優先に動くことを余儀なくされてしまいました。
運よくというべきか、お正月だったので、家に篭れるように食材の買いだめがあったのはありがたかったです。
趣味でやっている熱帯魚水槽から水が溢れだし、家が水浸しになりました。(幸いにも魚は飛び出ず)
本棚は本をパンパンに詰めているので、全く本はこぼれず(どれだけパンパンにつめているのか…)
2024年1月2日
金沢は一晩立つとある程度落ち着いてきたが、灯油、ガソリン、水を買う為の大行列が出来ていた。
水は幸いにもうちはウォーターサーバーがあり、1月1日の地震直前に家に24リットル配達があったため、水が買えないという事態は免れました。
灯油とガソリンは朝早くに行って、比較的短い列で購入することが出来ました。
これでなんとかうちは安定しました。
2024年1月3日
七尾にいる妻の家族がピンチ(停電&断水で避難所の水も昨日尽きたと聞きました。)だったため、急遽水を大量に配達することになりました。
この時点では、まだ国も県も「被災地に来ないで」というアナウンスはしていなかったのですが、毎回災害が起こると渋滞が起きるので、被災地の中に踏み込む事なく2車線の道だけで行けるエリアで水を輸送&受け渡ししました。(万が一救急車両が来たら一車線譲れるような道だけを使いました。)
正直、長男も心配だし、自宅に妻と次男を残していくのも不安でしたが、今日飲む水もないような状況で、物資も届かないという状況で義実家の家族を放っておくのも問題なので、行くしかありませんでした。(この事でSNSでは色々言われましたが…)
2024年1月4日
この日から長男がNICUに戻れるほどに回復したと電話がありました。
新年明けてからまだ面会に行けていないので、少し道路が落ち着いたら行ってみようと思っています。
ちなみに、この日は次男も1カ月検診でした。
私があまりに疲れていたので、義理の弟がわざわざ妻を産院まで送迎してくれました。
ここでようやく少しまとまった睡眠が取れて、体力も回復しました。
金沢は地震も落ち着いてきて、SNSで長男と同じ疾患を持つご家庭の方と相互フォローになり、まさかの同じ病院だったので、病院近隣の交通状況を聞いたところ、行けなくもなさそうだったので、明日向かうことにしました。
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