バイリンガル育児を決心した理由

英語を勉強する家族

私は個人的には「バイリンガル育児」に積極的ではありませんでした。

周囲に言うと「せっかく英語が出来るのに勿体ない」「絶対にやるべき」と言われる事も多いのですが、私が積極的ではなかった理由は複数ありますが、それでもこうしてバイリンガル育児をやろうと決心した理由について詳しくお話していこうと思います。

まずは積極的ではなかった理由から話していきます。

「おうち英語」の存在

皆様は「おうち英語」という言葉をご存じでしょうか?

コロナの時期に「おうち時間」と共に「おうち英語」という言葉を頻繁に耳にするようになり、最近では「早期英語教育」の代名詞として使われるくらいよく耳にするようになった言葉です。

※ここからは完全に個人の主観です。不快に感じた方はすぐにページを閉じてください。

「おうち英語」の私の印象としては、それを口にすることによって、良くも悪くも「頑張って活動している感」が出ると思っています。

SNS等で「おうち英語」というハッシュタグを付けると、良くも悪くもよく燃えます。それぞれの家庭で置かれている状況は当然違って、それぞれが正義に基づいて取り組みを続けているからでしょう。

「自分の家庭が絶対的に正しい。だって子供を見て貰えば分るでしょう。こんなに話せる。」と子供を根拠に語る投稿も少なくありません。

もちろん全員が全員そうだと言っているわけではないのですが、そのように、なかなか思想が強めなママさん達を目にすることもあり、見ていて気持ちの良い物ではありません。

他人の子と自分の子を比べたり、他人の子よりもよく出来る自分の子を誇りに思っていたりという印象を受けるママも少なからずおり、そういう人たちを見ていると「子供達はあなたの作品ではない。」と思ってしまうこともあります。

そういった世界に私のみならず、妻も足を踏み入れるさせることに繋がるのではないかと危惧しており、「おうち英語」というワードを使った英語の活動を億劫に感じる自分がいました。

だから、私は妻が「おうち英語やって欲しい。」と言った時は、即答で「やらない」と言いました。

それは、「英語を教えるという行為全般」に反対なのではなく、一般的に「おうち英語」と呼ばれるような活動をしたくなかったという意味でした。

自分を縛り付けた英語

今は英語発音専門のスクールを経営している私ですが、過去には英語に縛られたくなくて、英語から離れた時期がありました。

中学と高校をアメリカの現地の学校で過ごした私は、幸せな事に大学入学の時点で英語が話せる状態にありました。

大学3年になって、就職活動が視野に入ってくると、自己分析を行う人も多いかと思います。私もその一人でした。

その時に私を縛り付けたのが「英語」でした。

英語が話せるとなると、就職活動には当然有利に働きます。周囲からも「お前はいいよな。英語が出来るから就活とか楽勝でしょ。」と言われました。

自己分析をしていても、ついつい「英語に頼るのが定石だよな…」「英語が使える進路は…」と何をするにも英語が前提で話が進んでいく自分に気づきます。

私にとって英語は「得意な事」だし、「会社に求められている物」でもあるのだけれど、「やりたい事か」と言われると当時は正直なところかなり疑問でした。

かといって、友人や家族と就職の話をしている時に、「英語は使わないけれどやりたい事」としてリストアップした就職先の話をすると「せっかく英語が話せるのに勿体ない」と言われることも多かったです。

色々悩んで、結局は就職活動で私は一度英語に頼ることをやめて、住宅営業を経験します。そうやって他の道を経験してから英語畑に戻ってきたからこそ今の決断で正しかったと思えるけれど、もしあの時に最初から英語を使う道に決めていたら、ずっとモヤモヤしたままだったかもしれません。

「英語が得意になったからこそ、それを使わなければいけない気になってしまう。」「そんな形で子供の進路を縛り付けることもあるのかな。」「だとしたら、そんなに幼少期からやらせなくても、子供が自ら必要だと判断したタイミングで、手を差し伸べてあげられればそれでいいのではないのかな。」そんな風に考えていました。

英会話スクールで見た子供たち

私は某大手英会話スクールで6年程、一番小さい子は3歳から、生徒様として英語を教えていた経験があります。

その時に担当させて頂いていた生徒様の中には、もちろん「英語が好きで好きでしょうがない。」「毎週来るのが楽しみ」という子もいれば、「親が言うから来るけど、宿題が苦痛でしょうがない」という子もいました。

これは、将来子供が出来たら英語を教えてもいいのだけれど、「万が一自分の子供達が後者だったらどうしよう。」という気持ちを強く抱く瞬間でもありました。

「そんなの関係なく、将来的に英語が必要な時代なんだからやらせるんだよ。」という親御様がいるのも、当然理解はしていますが、自分の子供にはそういう風に英語をやらせたくなかったというのが本音です。

妻が全く英語を話せない事

私の妻は、パスポートも持っていなければ、海外旅行の経験もない、英語も当然話せない、といういわゆる完全な純ジャパです。

私が子供に英語を教えて、仮に子供達と英語で話すような状況になれば、妻をコミュニケーションの輪から排除するような形になってしまいます。

それはあまりに可哀そうで、避けなければいけない事だろうなと感じていました。

ただ、そんな様々な理由がある中で、私の考えを変える事もいくつかありましたので、ここからはそれについて話します。

子供が双子だったこと

子供が一人の段階から、幼少期に英語をやらせようと思ったら、他の英語教育に意欲的な家庭の子供達とプレイデートなどを計画して、英語を発話させる機会を作らないといけないという話もよく聞いていました。

ただ、私は一番最初の理由でも述べた通り、「おうち英語」の世界には絶対に足を踏み入れたくありませんでした。

それが、いきなり双子だったことで、子供が一人の段階が存在せず、更に同じ年、同じレベルになるであろう話し相手が家庭内にいる事になりました。

言語を習得するという上で、そんなに恵まれた環境は中々ありません。

これが私がバイリンガル育児に積極的になった一番大きな理由です。

X(旧Twitter)の先輩ママさんの言葉

私がSNSで相互フォローのママさん(しかもママさん自身が私のスクールの元生徒様)が、「うちの子、バイリンガルですけど、全く教えたって事はなくて、ただ英語で話しかけていただけですよ。りよさんもそうやればいいんじゃないですかね?」と言って下さいました。

おそらく職業病で、「英語=教える物」と頭が固くなっていたのですが、そもそも英語というのはコミュニケーションツールで、親子のコミュニケーションがその言語であれば、自然と伸びていくという実例を目の当たりにして、それなら自分にも出来なくはないかもと感じるきっかけになりました。

子供が嫌がったらすぐにやめる

そもそも最初から「自分の子供は英語が嫌いかもしれない」という事を恐れてやらせないくらいなら、一度はやってみて、嫌がったらすぐやめればいいと思えたことも前向きになる一つのきっかけでした。

そもそも、教えるという概念がなくなった今、子供に英語で声をかけるだけならば、やれるだけやってみてもいいのかなと思えてきている自分がいました。

私だって、一度は自分を縛り付けていると感じた英語でしたが、結局はそれに頼って生きている事を考えると、嫌いにさえならなければ、持っていて損になるものでもないと感じ始めました。

感情というものは本当に都合のいい物で、自分が嫌だと思っている時は何があっても嫌なのに、一度「あれ、もしかしたらいいかも」と思い始めると都合のいいように「やってもいい理由」を探し始めている自分にこの辺りから多少呆れてきていました。

そんな中でも、まだ唯一残っているやりたくない理由が「妻が英語を話せない」です。

妻が「英語が話せる子になって欲しい」と言った

「妻が英語を話せない」としても、その妻が「英語が話せる子になって欲しい」と望むのであれば、話が違います。

せっかく私が持っている物だし、上記の「嫌がったらすぐやめる」を条件にやるだけやってみても良いのかなと感じたため、このブログを作って、これから生まれてくる子供達のバイリンガル育児に励む決心をしました。

長文にお付き合い頂きありがとうございました。

これからバイリンガル育児、頑張っていこうと思います。

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